恒星ヒプノそのあとで

先日の山形ツアーで、谷原さんの誘導で恒星探索をしたことを書きました。
今日はそれについて少し詳しく書きます。

「ここはどこか」と問うたときに、入ったときは「ミルラ」
「ミトラ」(=「ミロク」?)「ミスラ」
出るときには「リゲル」が浮かんできました。
それで帰ってから調べてみました。
(音で聞こえるわけでもなくて、字を絵で見るような、
名前が言葉でなく伝わってくるような、不思議な意識なので、
なんかいろいろ調べないといけないのです。楽しいんですけど)

まず「トランシット占星術」(松村潔、説話社)の恒星の項を開きました。
そしたら、なんと、「ミラク」という星があったのです!
やや長いけれど引用します。
「若い肥沃な処女というイメージらしく女性的で、感受性が高く、直感的、ときには霊感的
また芸術的なセンスなどに関わります。調和を求めるので、偏ったものに肩入れしません。
情報を全方位的に受け取り、それらを発展させる力があります。
そのため人の話を聞く姿勢があります。(中略)受け入れたものを利用し、
発展させることができるという意味になります。飾り気のない、素直な人格とか、
老いても少年のような雰囲気を持つ人が多いでしょう。
敵を作りませんが、強引な人に取りこまれやすいイメージがあるでしょう」
ということで・・・
わたくし、この記述を読んで、自己イメージの一側面(あくまでも一側面)に
非常に似ていると思いました。
そして「若い肥沃な処女」というところは「私のガイドにそっくりだ!」と感じたのです。
「受け入れたものを利用し、それ他を発展させる!」まさに女帝!

つぎに「リゲル」を探しました。
「この星はオリオンの中で研究や教育、学者的な側面を持つ要素です。」ということで、
これもやりたいことと関連していました。
私はオリオン系なのかしら。

他も調べてみました。

ミルラは没薬、香料ですね。 → 
ミトラ(「ミロク」?) → 

以上はまだ調べっぱなしで、何も結びついてきません。
探索時の補足も書いておきます。
眠ってしまったのでそこのようすを覚えていないのですが、
今思い出すと川のそばだったような、レンガの橋がかかっていたような。
ってそれ、地球じゃん!って思っていたのでした。
最初にガイドの人を思い浮かべるときも、
人のよさそうな笑顔のおじいさんがうかんできていたのに
「マドモアゼル先生の顔を見ているからきっとその影響だ」(爆)
なんて思って、いつもの人に出てきてもらってしまったのですが、
あのままおじいさんにガイドをお願いしていたらどこに連れて行ってくれたんだろう。
「見えたものを否定しない」のがああした体験の大原則なのですが、
「自分の思い込みだ」とか「自分がイメージを作った」と考えてしまうことが
よろしくないのですよね。
瞑想にはいるとき、何も浮かんでこないのも当たり前で、
そういうときはこちらで形を作るのです。
するとそれが滑走路になって、あとは勝手に人物や光景が動いてくれるのです。
谷原さんも「ガイドに命が入る瞬間がある」という意味のことを言われてました。

ということで、書きっぱなしですが、恒星探索ツアーは意識下で続く・・・という話でした。

 

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いちどだけ幽霊を見た話

小さいころ、暗闇は特別なものだった気がします。
電灯を消すと真っ暗になるでしょう。
今は冷蔵庫や携帯やテレビやなんか、
消していても小さな明かりがついていたりするけれど、
昔はそういうのもなかったし。

闇はでも真っ暗ではなくて、
目が慣れてくると細かい砂のような霧のようなものが飛んでいるのが見えました。

ある夏の夜のこと、
私は3歳くらいではなかったかと思うのですが
はっきりしません。
暑くて目を覚まして、母に水を持ってきてもらいました。
アルミのコップに入った水をごくごく飲んで、
また眠ったと思うのですが、
どのくらいたったのでしょうか、
ふと気がつくと、
顔のすぐ右手にある仏壇から、白い霧のようなものが
湧き上がるようにでてきているではありませんか。
と、見る間に霧は渦を巻いて何かの形をとりました。

私はあっと声を上げそうになりました。
それは、おおきな頭とふくれたおなかをした赤ん坊だったのです。
その赤ん坊は、私の上におおいかぶさるようにして、
右手を胸の上にのばしてきました。
今度は本当に声が出ました。
「やめてーっ!」
思わず手で払いのけました。
赤ん坊は消えました。

そのあとは普通に眠れたのか、
どうだったのか、よく覚えていません。
でもそのできごとは今に至るまで忘れません。
後にも先にも、幽霊を実際に目で見たのはあのときだけです。

ところでその仏壇の下の棚には
白い壺が入っていました。
小さかった私はときどきそれがなんなのか不思議になって、
父に尋ねました。
一度父は中身を見せてくれました。
それはかさかさした白黒のものでした。
「なに?それ」
「お骨だよ」
「だれの?」
父は答えませんでした。
そんなわけで私はどこの家にも仏壇にはお骨が入っているものだとばかり
思っていました。

16歳になって、高校に入学するとき、
戸籍抄本が必要になってもらってきました。
謄本だったかも。
母が私に「ここ見てごらん」と指をさしました。
そこには父の長男として孝男という名が記されてありました。

そのとき初めて、父は母との結婚が三度目だったこと、
前の奥さんとの間に男の子がいたけれど、
奥さんが家を出てしまってその子と二人で暮らしていたこと、
その子が5歳の年に腸チフスになって亡くなったこと、
父が一人で看取ったこと、
などを聞いたのです。
そして仏壇の中の骨は、その孝男ちゃんのものだったことも。

それで、ごく自然に、
「あの赤ん坊は孝男ちゃん(異母兄ですけど)だったんだ」
と思いました。

その年の冬に、父は亡くなりました。
骨は土に返すようにと生前言っていたので、
四十九日のあとお墓の土に撒きました。
もちろんあの骨壷の骨も一緒に。
そんなわけで今も甲府の実家のお墓に、
父は孝男ちゃんとなかよく眠っています。




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水晶モニターリーディングその後
 昨日の日記で、水晶モニターリーディングについて書きましたが、
そのあと吉田結妃さんのブログで、
「クリオネ」についての新情報を知りました!

右上の「人なのか?」てやつがクリオネみたいだったそうで。
私は園芸バサミという言葉に反応したのですが。

してクリオネは、あの寒い海に棲む巻貝の一種ですが、
ウィキによればその名は
「ギリシャ神話に登場する文芸の女神たちムーサイの一柱クレイオーに由来する」
のだそうです。クレイオーは歴史と英雄詩を担当し、持ち物は巻物。
名の意味は「祝福する女」なんですと。

これも書くことに関係ありそうですね!
私、好きなものについて語っていたいんですね。
そういえば、はさみはソードつまり言葉ですしね。

ちなみにこの時のお題は「ミッションについて、今やったらいいこと」だったかな?

吉田さんは未来のところの人をキュリー夫人かもとお書きでしたが、
実はキュリー夫人の伝記は小学校時代いちばん親しんだ読みものの一つです。
そして私は大学で伝記分析を専攻しましたのです。
あるいはエミリー・ディキンソンについて、
好きな詩人について、調べてみたら?ということかも!

まあそんなわけで、こういう無意識の領域の話は、いろいろとつながってまいりますね。
今はあまり余裕のない日々を過ごしていますが、
ちょっとゆとりを持って、好きなものについて書いてみたりしたいと思いますよ。
ではでは。
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水晶モニターリーディング
 

昨日、都内某所で、吉田結妃さんの水晶モニターリーディングを受けてきました!

吉田さんには以前灯台屋の名刺を作っていただきました!

リーディングは、10分~15分の水晶透視によります。
私は質問を書いた紙を持っていきましたが、
吉田さんは見ていません。

吉田さんはときどきちゃちゃっと絵を描いて、
最後に説明しながら色をつけてくれました。

結果として、自分しかわからないような思い当たることがバンバン出てきて非常に驚きました。

たとえば、右下の「書くペンと矢」
この手は、おととい私が水晶透視で見たものとほぼ同じです。!
書くことを、矢が阻んでいる感じ。
まあ、今はやりたいことが多いのです・・・。

アドバイスの「重いもの着地させる」。
これ、水晶としか思えませんのです。
これは私が持っている、いちばん大きいポイント水晶とそっくりなのです。

未来の「ヨーロッパの古い女性」。
私は以前、自分についてくれている高次の存在についての
リーディングを受けたことがありますが、
そのとき言われたのが「イギリスの大変賢い女教師が後ろにいます」というお話。
吉田さんにはアメリカとお伝えしたけどそれは他の人のリーディングだったと思いだしました。
自分の太陽のサビアンが「お茶会の貴婦人」ですが、その雰囲気もあるような。

「園芸バサミ」も驚きました。私は将来、庭を手に入れたいといつも思っているので。
クリオネみたいなものだったようです。
なのでなんかお気楽な感じです。

あと「相手環境」は、私がもう使命の道に入ったので、
そのことを遠くから監視している人がいるんじゃないかということで。

最終結果として「わが道を行く」ことになりますが、
まったくそれでいいです。

全体として、やっぱり何か書こうと思ったことと、
とりあえずやろうとしていることは全部やります。
それが着地になるかと。

吉田さんに、まだやめて1年たっていないのだから、といっていただいて、
そんなに気を張らなくてもいいかなと思いました。
マイペースで行きます。


吉田結妃さんのブログはコチラです! → 

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水晶透視練習会
 先日、谷原由美さんの水晶透視練習会に参加してきました。
2回目になります。
やり方はですね、
音(バイノーラルビート)を聞いて脳波を落とし、
水晶を見ますです。
瞑想時のような感じになります。
水晶はクラック(ひび)とかあるとラクですね。
それが何やらの形をとって見えるからです。
今回のお題は「参加者の使命を知る」というものでした。
参加者は紙に名前を書き、その中から谷原さんが一人を選びます。
誰なのかは透視が終わって紙が開かれるまでわかりません。

その日は最初、人の顔がくっきりと見えました。
しげしげと見入ってしまいました。
谷原さんが台になるクッションを持ってきてくれたのでその上に乗せて
少し離れて見ていたのがよかったのかもしれません。
頬骨の高い、女の人でした。

2回目のトライのときの話を少し書きます。

最初に菊の花が見えました。
そのあと色の浅黒い目のきつい中東あたりの男の人。
(身分の高い、神官みたい。テントの中にいるみたい)
走っている動物。太った羊みたいな。
中世ヨーロッパの男の人。
(フランシス・ベーコンだ。と思う)
大きな右手。棒のようなものを握っている。
(棒?ワンド?ペンかも)
男の人の顔。
(夏目漱石だ)
また男の人の顔。
(八木重吉だ)
何か抱いている人。
(楽器?シタール?)
横に楽器を抱いている女の人。
(弁天だ!)
水に口をつけて飲むこども。

あと、マント、とか、後ろの人、とか書きこみがありますがもう覚えていません。
あ、横に筆記用具をおいて、そのつどメモします。
でないとみごとに忘れ果ててしまいます。

で、大きな手を見たあたりから、「これは自分のだ」と思いました。
見えるものの質が違う感じなのです。

そのあと参加者の方が順番に見たものを話されました。
「大きなぼうし」
「頭になにかを巻いている」
「ターバン」
「ヘルメット」
というシェアがありました。
ちょっとはっとしました。
このブログをお読みくださっている人はご存じだと思いますが、
4月からずっと新しいことを学び続けています。
だから頭が膨れているに違いないのです。

「棒を持っているか楽器、シタールかも」
「シルバーの剣を持つ小人」
というのも出てきました。
それを聞いたとき、自分の見た大きな手が持っていたものは
やっぱり書くものだ!感じました。

自分だけでは分からなかったものはいくつもありました。
三つの星を見た人がいました。
オリオンの三ツ星だと思いました。
これは神様としては宗像三女神を表していて、
江ノ島にもまつられているので、弁天様とつながります。

虹を見た人もいました。
虹の根元には宝があります。これ以上は書けませんが
その人参加者さんと関係がある感じがしました。

「ライダー」「ファルコン」「パイロット」
私はどこか出かけるのでしょうか?
それとも今がスピードを出して飛び回っているような状態だから?

「固い意志」という言葉が浮かんだという方がいて、
それも聞いたときも「ああ、じぶんだなー」と感じました。
固すぎて困ります。

あとでフランシス・ベーコンを検索して思い出しました。
「知は力なり」は彼の言葉でしたね。
その像はもしかしたらベーコンじゃなくてフランシスコ・ザビエルかもって思ってて、
それも調べてみようと思います。

私は、今の仕事のことしか頭にありませんでしたが、
「書きなさい」と言われたような気がして衝撃でした。
菊の花は、夏目漱石の「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」や、
「三四郎」の一場面を思い出させます。

こういう連想や象徴の解釈はここで止めないほうがよくて、
ずっと探索し続けるのが大切みたいです。
後々わかってくることがあるのです。
夢を見たあと「あっ、あれはこのことだったのか!」と気づくときがあるでしょう?
あれです。
どんどん広がっていくので、メモはマインドマップのような描きかたがいいのかも。
見たものがが宝の山の入り口みたいなものなんだと思います。
まだ前世探索にはあまり興味はないですが、
やっていくうちに出てくるに決まっています。
ヒプノの資格も取りたい・・・。
と、夢が広がっていきます。
日常では気づかないし、自分だけでは分からないことを考えさせてくれる
こうした試みが、私は好きです。

ヒプノセラピスト 谷原由美さんのブログはコチラです。→ ★ 
































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女教皇のパス
 ときどき、タロットパスワークで女教皇のパスを歩いたときのことを思い返します。
とにかく寝込むすれすれのところで浮かんだことだけを拾おうと思って、それには成功しました。
最初の映像は、真っ青な空に飛行機が飛んでいるところでした。真下からそれを見上げています。
無音ですがパン!という音がしたとしか思えない勢いのよさで、飛行機からたくさんのチラシが
あふれだしてきました。
下からそれを見上げています。降ってくるチラシ。
何が書いてあるか読みたい、と思うのですが読めず。

次のシーン。日本の住宅の狭い廊下に二人が座っています。一人は背中を見せたおばさん。エプロンをつけていたかも。一人は幼稚園児の男の子。おばさんが子供に本を読んであげているけれど声が聞こえない。

3つ目のシーン。車のトランクに女の子が寝ている。本を抱いて。女の子はパレルモのミイラによく似ている。

そんな感じでした。
松村先生はパスが居心地がよかったか悪かったかが重要だと考えているみたいですね。
「悪くなかったけど、不完全燃焼」というのが印象かな。

女教皇は本を持っていますよね。最初の飛行機から散ったものは、彼女の本のページだったと思います。でも何が書いてあるかは全くわかりませんでした。
飛行機はアカシックの記録庫だと思いますが、そこから盛大に記録が放出されています。しかし私はずっと下にいて、それが手にできない。

次のシーンでも、女の人が子供に何か読んでいるのですがそれが聞こえない。そのときは本も見えなくて、私は想像するだけでした。「多分持っている、読んでいる」
その次の場面では本は見えますが、少女が抱いています。

女教皇は本読ませてくれてナンボでしょ!
と思ってしまうのですが、それは違います。
女教皇は決して自分からは動かない、どこまでも受け身な存在のはず。

最初のシーンの飛行機は、見事な十字の機体の腹をさらしていました。
飛行機は縦横同じ長さでした。十字だというより、4(四角)だと考えていました。
あのチラシは、私の読むものではなかった。
そしてあの輝く青、あれは反射の色ですね。
何かをそのまま映し出す色。
それこそが女教皇の働きかもしれません。

おばさんの本も、私に聞かせるものではなかった。
あれはあの子に読まれた本でした。

少女の本も、たぶんあの本は時間を越えて、
彼女のお父さんに読んでもらう本だったのだと思います。
パレルモの少女のお父さんは、少女を溺愛していました。

私の読むものはなかった。
私は自分とは違うパスに入ってしまったのかもしれません。
そういえば魔術師のパスも、とても冷え冷えしてよそよそしかったのです。

そんなわけでこのパスは鮮やかでありながら、
自分のど真ん中とほんのちょっとずれていたんじゃないかと
今は解釈しています。

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タロットパスワーク・その2
 ,箸ってツイッターでは文字化けするんですね。

それで、今回のタロットパスワークでどのような体験をしたかを書きたいと思います。かつて「人の夢日記なんて誰も読まない」という意味のことを歌人の穂村弘が書いていました。まあこれも全く同列だと思います。

最初に用いたカードは「愚者」でした。ちなみにマルセイユ版(絵柄がポピュラーな二つのうちのひとつで、古いほう)です。今回ライダー版(もっともポピュラーな、新しいほう)はまったくお呼びではない状態でした。
愚者は、生命の樹のパスの中でもいちばん上位に位置し、この世界と外宇宙をつなげる道でもあります。
タロットカードをご覧になった方はわかると思いますが、「愚者」は道化のような若者がわずかな荷物の下がった枝を肩にかついで歩いているところが描かれています。犬がまとわりついています。もはやお尻にすがりつくようだ。そう、愚者が歩くのはがけっぷち。犬はいつも、この世とあっち側の境界線上に出てきます。「あぶないYO!あぶないYO!」と叫ぶ犬。

犬にかなりまとわりつかれました。パスワークは、とっかかりに一か所リアルなところがあれば、そのあとずんずん入っていけます。今回私の場合は犬でした。私はそのあと宇宙に出、白砂の浜に出、古墳の玄室のようなところに入り込み、戻ってきました。(レバーがあったので宇宙船の残骸かも)以前にもパスワークで宇宙に出たことはありますが、今回は星が大きく見えて、惑星のような星がいっぱいありました。

次は「魔術師」のパスでした。魔術師はスタートのカードです。愚者が飛び出す道だとすると魔術師は入ってくる道。宇宙に飛び出したあと、どんなふうに始まるのかと、興味深々でした。
魔術師はにぎやかな広場にお店を出していました。私はその隣にいましたが、人々は魔術師には目もくれず、行きかうばかりでした。私はその場を離れ、船に乗りました。豊かな緑色の水。両岸は桜並木が続きます。まったく無音の世界でした。目の前を白い蛇が、先導するように泳いでいました。そのあと笹に囲まれた家にたどり着きました。まだ新しいけれど、誰も住んでいないようです。床まで枯れた笹が、敷き詰めたように散らばっていました。そのあと広場に戻ると、アンティークというかたんに古びただけの皮の鞄と靴と、帽子か何かが、ぽつんとおいてありました。

私転職したばかりなのに始まりにしては静かすぎるなーという印象で、ちょっとしょぼーん。でも、以前に一人でこのパスを試したことがあるのですが、その印象があまりに鮮やか過ぎて、あのエネルギーを回避したんだなともちらっと思いました。私はすでに始めてしまっていて、その私は同じ広場にいたはずです。今回はその裏側を通ったんだろうな、と思うのです。

二日目でしたが、「女帝」のパスに入りました。これが私にとっては最も収穫でした。
目をつぶると、女帝は等身大になり、私は女帝のおなかの中に入っていました。おなかの中には宇宙がありました。愚者のカードで見た、惑星のような星がありました。塗り分けられたような青と赤の星です。「同じ宇宙にきたんだな」と思いました。私はぐんぐん大きくなり、気がつくと宇宙を手にしていました。というより、地球か太陽系の入った宇宙なんだと思いました。そして自分の背後にも宇宙がありました。右肩を先にして、絶えず回転していました。
大きな大きなエネルギーで、酔ったようになりました。レイキの、アチューメントを受けたときに似ていました。
このパスは、私の言葉でいうとですが、「受け取る力」と「突き進む力」をダイレクトにつなぐもので、何か生み出したい人にはとってもいいのだろうと思います。通ること自体が、「出産」を表すと思います。

しかし、「出産」とは形にすることで、本来は、「魔術師」のテーブルの上のどれか一つを選んで、作るのだ大事だと思うんですけれど、私は自分が小さくなったり大きくなったり、手にしたものは宇宙だし、全く具体性がありません。以前も女帝のパスは何回か試したことがありますが、こんなダイナミックなエネルギーを感じたのは初めてでした。

話は前後しますが、講座を受ける少し前に子供を産む夢を見ました。前後をあまり覚えていないのですが、悪い感じはまったくない夢でした。
そのころ、牡牛座に火星が入った日に、軒下をねぐらにしていた猫がいなくなってしまいました。10か月の仔猫といえば仔猫です。
先日写真で紹介したセッションルームは、とにかく女帝の部屋と決めていて、必ず何か生み出して帰ろうというのがコンセプトです。形にしよう。まだ準備段階なんですけど・・・。借りることを決めたのは3月末ですが、そのときからそんな気持ちが芽生えていました。

私は手先が不器用で、反射神経もよくなくて、行動力がなく、自分から生み出せるものといえば文章だけなのです。パソコンがなかったら、これだけ書くのだって一日仕事でしょう。
今まではとにかく消費するだけでした。仕事が忙しかったのを言い訳に、創り出したい気持ちがあっても押しつぶしてきました。しかし今では、何か作りたくて描きたくて、うずうずします。

さっき昼ご飯を作りました。たぶん前の仕事を続けていたら今日なんか絶対外食です。でも冷蔵庫を開けたらうどんがあって、レタスがあって、トマトがあってアボカドがあって。自然にうどんを湯通しして、野菜を刻んでいました。もともと私は食べることやつくることにあまり興味がなくて、自分だけが食べるものは一年中梅干しを落としたそうめんでいい人なんですけど、自分にサラダうどんか・・・作るってこういうことか・・・たぶん女帝はこうやって落とし込まれていくのだ・・・としみじみ納得しました。笑。
いつも小さな工夫を重ねてご飯作っている人には当たり前のことだと思いますが、これは私にとっては小さいけれど大きく、確実な進みとなるでしょう。

そんなわけでタロットパスワークは、今の自分をより深く知れ、人生の方針が立てられる、なかなか面白い試みといえます。
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タロットパスワーク
 先日、松村潔先生の「タロットパスワーク」の講座に参加してきました。
「タロットパスワーク」って、言葉から想像するのは難しいかもしれません。
やっていることは、タロットを見ながら瞑想して絵の中に入ったと想像するだけです。
はたから見ていると目を閉じて座っているか寝ているだけに見えると思います。
しかし、当事者の頭の中には世界が広がり、すごいことが繰り広げられています。

頭の中にある光景を見るのは、難しいことのように思えるかもしれないけれど、
みなさん、できます。
最初は「自分で無理やり作ってるだけじゃん」という突っ込みが入ると思いますが、
それでいいのです。それを補助として、だんだん思考の管理下ではないイメージが展開していきます。
大事なのは、瞑想と書きましたが「変性意識」の中に入ることなのです。
これもそんなに難しいことではなくて、静かなところで、楽な姿勢で座って、
目をつむるか視線を下に落として数回深呼吸すれば、
すぐにちょっと違う意識の感じを体験することができるでしょう。
それが深まっていけばいいのです。
深まるというのは、眠り込む寸前のあの感じです。
眠る直前は、言葉通り夢ともうつつともつかないいろんなものが見えますよね。
そのまま眠ってしまうので、たいがい忘れてしまうのですが。
あの感じです。
普通は呼吸法を使って変性意識状態を作るのだと思いますが、
松村先生の講座では、音を聞きながらやります。
ヘッドフォンで、右耳と左耳の周波数が違う音を聞くのです。
そうすると、ほどなく、からだがしびれ、ぼーっとなり、意識が変わります。

そうなる前にカードを決めておいて、それを目で見つめてから、
音を聞きながらカードの中に「入っていく」と、タロットパスワークの始まりです。

ちなみに、「パスワーク」の「パス」はトスパスのパスじゃなくて道のほうのパスです。
タロットは、「カバラ」という思想の「生命の樹」の22本のパスに対応しているのです。
この生命の樹のリンク、断りなくお借りしましたが、すごくわかりやすい。。。
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夢の残る午後

毎日暑いですね。
今日も、お昼寝をしました。

休日、午睡から目覚めて、忘れ物をしたような、とても心細い気持ちになることがあります。
何か間違いを犯したような不安さです。
生まれたときの記憶の名残りなのかもしれないなと思ったりします。

しまった、なぜ生まれ出ることを決めてしまったのだろう。

それは、気がついたら泳いでいたような感じです。
ここがどこだかわからない。
泳ぎきるよりほかにない。(←どこかで聞いたような)
そう、ゴールにたどりつくまで、ただただ息苦しく薄明るい水の中を、
手を伸ばし足で蹴りして、泳ぎきるよりほかにないのです。

私にとって生きるということはそういうことかもしれません。


人と出会ってしまったときもそのように感じます。

なぜ出会ってしまったのか。
なぜ素知らぬふりをしなかったのか。
なぜ飛び込んで―始めて―しまったのか。
ゴールでは一人になることが分かっているのに。

たとえようもない不安に襲われるときがあります。

この世に生まれ出でたことと、人と出会うことが、
同じ心細さを呼び起こすのだから、
この世とは、私にとっては、「他人のいるところ」なのかもしれません。

ゴールにたどり着いて、水から上がったとき、どんな景色が待っているのか。
それは自分にもわかりません。
そこで安心するのか、さらなる闇が待っているのか、
それもわかりません。

ただ、私が私の形を保っているときは周りは水だけれど、
水を忘れているときは、私もまた私を忘れているんだろうと思います。
そのとき何に属しているか、水から上がったときの私は知っているんだろうと思います。

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永遠に女性的なるもの
 大切な人は別れても心の中に棲んでいて、繰り返し対話を重ねたりします。
その時期が過ぎても折に触れ思いだすことになります。

もう何年も前ですが、ある女性を知っていました。
彼女があるとき男の人から想われて、誘われて半日、映画を見たり食事をしたりしてきたと、
私に打ち明けてくれたことがありました。
優れた女性にはありがちですが、
彼女もまた潔癖な人で、同僚のふしだらな話を聞くだけでその人の評価を下げてしまうことがありました。

そんな彼女にその男性は、ときどきこうやって映画を観たり音楽を聴いたりして話したい、
お互いの刺激になりお互いを高めあうような時間を持ちたい、といいました。

(男の人はもうそのときおそらく彼女への気持ちを自覚していました。)

そんなことを目的に逢うようになるなんて、と彼女がいうので、
既婚者の恋愛はそれが目的ではないのか、と私が答えると、
彼女は眼を見張りました。

お互いのレベルによっても、何を求めるかによっても話は違ってきますが、
結婚生活のパートナーとの関係から得られるものには限界があると考えたほうが基本は自然だと、
私は考えます。

松村潔の最新刊「エーテル体に目覚める本」には、
「感情のエクスタシー12は、宗教的な法悦の感情とか、芸術の中で受け取る12物質だ。それは口では表現できない感情であり、まさに高次な感情だ」とあります。
(物質12については今は置いておきます)
そして、しばしば恋愛やそれに類する関係の中で、高次の感情を経験することは多いと思います。
松村潔はまたこうも書きます。
「スタンダールによると女性の本質の一つは一体化の本能だという。」

他の部分にはAV監督の代々木忠という人の文章として
「そして、逆にわけもわからず魅力を感じてしまう女は、(略)最高のオーガズムに達した経験を持つ女性であることが多い。そういう女は思考、感情、本能を全て最高値にまで引き上げたことで男を母性で包み込む力を持つようになるため、知らず知らずのうちに惹きつけられてしまうのだ。」
とあります。

大島弓子の名作「ジョカへ」には、ゲーテのファウストのラストが、確かこのような表現で引用されていたと思います。


永遠に女性的なるもの
われらを天上に引きよすなり


(今手元にないので、表記などは違うかもしれません。)

男性は、芸術や宗教その他の中で高次の感情を味わおうとするときに、
女性の手引を必要とするかもなと思います。
そして、セックスも、そういう仕組みの一つなのだろうなと思います。
女性についても、同じようなことはいえるのだと思います。
女性はもう表現する必要がない、なぜかないので、
あまり語られないだけだと思います。

最近自分の手に余ることを書こうとしているので、
うまくまとまっていませんが、今日はこんなところです。

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