高倉健さんがなくなりましたか。
昭和の映画を観ていました。
健さんのじゃないですが。
少し前に録画したものです。
1975(昭和50)年、私が中3のときの映画です。
北村総一朗さんが出演しているんですよ。
あの「踊る!大捜査線」の署長さんですね。
主演藤岡弘。
どんな役かなと思っていました。
中3の夏休み明け、「総一郎さん映画に出てたよ」と友達に言われたときから。
「うそっ、なんで教えてくれなかったの」
友情に亀裂が入りました。
今みたいに携帯やラインがあったら違ってたでしょうけれど。
その前年に大河ドラマの「勝海舟」で彼が泣くシーンにくぎ付けになって以来、
私は総一郎さんに夢中でした。
ひとめぼれした次の週に切腹しちゃったんですよ。
もう私の心には刻印されてしまうわけですよ。
なんで好きになった途端に死んでしまうの、と。
それまで特に関心があったわけじゃないから記憶も少ないわけですよ。
その少ない記憶を一生懸命たどって。
亀山社中の近藤長次郎役でした。
日本史好きの人はわかると思うんですが。
竜馬は藤岡弘でした。
長次郎が泣いてたのは友人の岡田以蔵が死んだからです、確か。
以蔵は萩原健一がやっていました。
同じく大河ドラマ「竜馬伝」の長次郎は大泉洋でしたけど、あれもよかったけど、
あれより突っ込んで描いてありました。
才気に恵まれて上昇志向が強くて身分が低い人が
自分さえよければになって仲間を裏切ったとしても、
それはそれで無理もないことに思われ。
当時も大河ドラマの再放送が土曜日にありました。
掃除をさぼって飛んで帰り、
カセットデッキをテレビに近付けて録音しました。
まだ持ってます。
声の響きは耳の中で再現できます。
土佐弁がうまかったんですよ。
高知出身ですもの。
それからは
毎日テレビ欄を目を皿のようにして見て、
それだけでは十分ではないので
ドラマのタイトルロールとかは全部チェックして、
出演したときはすぐに録音できるようにいつもデッキを準備していました。
テレビのチャンネルは4つだったのでそれができたのです。
そんなときが2年くらい続きました。
あるときファンレターを出したら、返事がきました!
たぶん高3くらいまで、折に触れ手紙を書いていました。
舞台は2度観にいきました。
劇団「雲」の役者さんだったんですよね。
電話したり、上京したときは家の近くまで押しかけたり。
ストーカーに近いことをやっていました。
気持ちの持っていきようがどうにも難しかったですねー。
総一郎さんは総一朗と改名して、
大運が帝旺運になってからだんだんテレビで見る機会が増えたかな。
総一郎さんのチャートをざっと見ると。
金星が乙女で私の冥王星とほぼ合ですね。
月も乙女かな。獅子座ぽくもありますが。
趣味は油絵と聞いたことがあるので、
乙女の初めのほうかもしれません。
絵を描く人多いですよね。
太陽は天秤2度。多くの人の投影を受けそうですね。
なんでいきなり夢中になったのかな?と考えました。
まあ月乙女かもしれません。
私はずっと自分の月を人に求めていたので。それはそれは強く。
それと、この方、金星天王星にアスペクトがあります。
私もあるので、そこに反応したかもしれません。
金星域の年代でしたし。
トランジットももちろん関係あると思います。
四柱推命では、命式が記憶と違っているのですが?
たぶん今見ているのが合っているかな。
干合と、天剋地冲もあるから、です。
当時の自分にとって、衝撃的だったと思います。
当時私は小学校高学年からずっとやっていた学級委員を降りたころで
先生も扱いかねたのか「生徒会に出ろ」と勧められたりしました。
急激に内向化していました。
同時に漫画をすごく読みこんでいて、とくに「ポーの一族」に夢中で、
深夜ラジオも聞き始めたころで、
不安定だけどすばらしくふるふるした感性を持ってました。
まあみんなそうなんでしょうけどね、14歳。
そんなとき、求めていた何かに、すこっとはまったんでしょうね。
映画では総一郎さんはけっこう出ずっぱりのいい役でした。
当時のテレビでは考えられなかったぐらい。
細い上半身、肩が前に出がちな姿勢、思い出しました。
最後に打たれて死んじゃってました。
当時の私が見ていたら、とても満足しつつ、また号泣したと思います。
そうそう水谷豊がテロリスト役で出てました。
勝海舟 →
★東京湾炎上 →
★北村総一朗オフィシャルブログ(あるんだー) →
★去年ぐらい?手術されたんですよね。ずっと元気でいてください。