京濱伏見稲荷神社
- 2011.04.25 Monday
- 19:43
町のおいなりさん。ぱりっとしてかわいい神社。
出張のついでに寄ってきました。渋谷から出ている東横線の新丸子駅のそばにあります。
本殿の周囲に108体のキツネの石像。
ほかにも、琵琶湖と竹生島を模した弁天様とか、見つけるとうれしくなるようなものがいっぱいありました。
私事です。
昨年から「主任」になりました。
そして今春、ぷち「管理職」になりました。
「主任」になってみて驚いたことは、自分が動かなくてもいいことです。
みんなが聞きにきてくれるからです。
「これでいいですか?」「これはどうしますか?」
私は判断する立場なのです。
さらに驚いたことがあります。
自分の中でずっと「人の役に立てていない」「必要とされていない」「この仕事は向いていない」
といった焦りや無力感があったのですが、これがみごとに解消されました。
人が自分のところに来てくれる、それだけのことなのですが
「自分は尊重されている」「必要とされている」と心から思えるのです。
今になってみるとわかります。
私が本当に欲しかったのは、この状態だったのです。
立場をもらうことが、自分にとっては「認められた」こと。
どんなに自分が満たされたか。
思うに、目標を見失ったとき、
何のために生きたらいいか分からなくなったときでも、
答えは見ることができます。
出生図には記されています。
とりあえず土星が、その答えなんじゃないかと思います。
なんかほんとに、単純なことでした。
私の土星はもちろん山羊座です。
こんにちは。
ごぶさたしております。
3月4月は本業がすごく忙しい時期です。
その上、かぜだかぜんそくだかインフルエンザだか花粉症だかわからないものにやられて、
足掛け3週間ほど起きたり寝込んだりを繰り返していたので、
更新もせず失礼しました。
その間、ツイッターに接する頻度が非常に高くなりました。
その中でいろんな貴重な情報や考え方に接することができました。
とても有益なことだと感じました。
原発について、いろんな情報に接しています。
その中の一つで興味を持ったものです。
「原発がどんなものか知ってほしい(全)」
この文章については以前から読んで知っていました。しかし今回ツイッターで、これは「平井さん」自身が講演されたものではないらしいということを初めて知りました。
「原発がどんなものか知ってほしい?」
「平井憲夫」さんについて検索したところ、こんな記事もありました。
「幻の『平井憲夫』の謎」
これらすべてをゆっくり読んで検証したわけではないですが、情報は情報として扱うべきで、自分の考えを述べるとき、根拠にしていい情報とそうでない情報があるのだなあということを改めて感じました。また、人が書いたものを情報として使うのか、意見に同意して引用するのか、ネットの世界ではすべてが手軽になっているからか、線引きがあいまいであるとも感じました。
情報は人が扱うもので、「正しく」取り扱うには限界があります。自分の信念価値観と、自分の発信する意見はリンクしていて当然だと思いますが、自分の受発信する情報は、それとはワンクッション置きたいものではあるよなあと思います。
しかし、自分の考えや感じていることをそのまま表現してくれている文章は、貴重です。そういう一面の「真実」があるから、上の文章などは長く残っているのでしょう。
今日はまるきりの雑記になってしまいました。