聖職の浄化
- 2014.07.16 Wednesday
- 08:19
次男のことを書きます。(本人、鷹揚に書く許可をくれました)
獅子座太陽、魚月。月は魚座25度で、
7ハウスでノーアスぺクト(他の星とメジャーな角度がありません)。
10歳のとき交通事故に遭いました。
下校時、校門から飛び出したとたん白いカローラに遭遇し
そのまま車体の下に滑り込んでしまいました。
ランドセルが引っ掛かって動けず。
わらわら出てきた子どもたちに囲まれて、
「がんばれーがんばれー」と応援してもらい、
「うぇっうえっ、まるおか×××、がんばりまーす!」と泣きながら15分。
助け出されたときは臀部に4度のやけどと、顔にそこそこ大きなけがをしていました。
まあほかにも足とか胸とか。
本人はやけどは全然痛くなく(神経も焼き切れた)
膝と顔の擦過傷がたいへんだったそうです。
40日入院して2回皮膚移植の手術をしました。
しかし骨折もなく、1トンの車とぶつかったわりには
命にかかわるような後遺症もありませんでした。
親がはらはらした体験はほかにもありました。
生まれて1週間で熱を出したときも、真剣に心配しました。
退院したばかりの病院に逆戻り。
大人の肘までくらいの身長で、腕が大人の指くらいでした。
髄液をとられて、まだよく開かない目から涙を流していました。
まあそれは原因不明だったけど順調に回復しました。
わりに暑くない夏で、二度目に退院にしたときは旧盆ごろでしたが、外の世界は秋でした。
15歳のときは修学旅行の自主行動の帰りのバスの中で、
やんちゃな友達にに木刀でぶったたかれて、
帰宅後しばらくして校長室で謝罪を受けることに。
そのとき始まったことでもなくて、
もともと学校一のいじめられっ子だったみたいなんですね。
(「みたい」は「学校一」についてです)
高校以降は大きなこともなく普通の生活をしています。
でも私は、チャート上では上に書いたようなことはどの辺に出ているのか、
これからどうなのか、みたいなことはよく考えてました。
このあいだ講座で松村先生にそれをお尋ねする機会がありました。
先生のお答えは明快で
「月が春分点の手前で7ハウスなので、
周囲の人のいろんなものを吸い込んでしまう」とおっしゃってました。
魚座25度、サビアンは「聖職の浄化」です。
この度数が現実に現れたときどう出るかがストレートに伝わってきました。
魚座26度以降に感受点があると、
確かに、はたで見ていても「あっ、いわれてみれば」という
独特の傾向として出てくる感じがあります。
本人の意思とは関係なく環境と切り離されていくような生き方ですね。
25度はどちらかというと内面的精神的なきちんと感だと思っていましたが、
それはもちろん現実的な出来事とリンクしており、
7ハウスなのでけっこう派手なのでした。
母である私の何かも熱で浄化してくれたのだろうか。(木刀も木=火ですね、そういえば)
先日、走水で直居先生のサンプルリーディングを受けたとき、
先生は開口2番ぐらいに「逆縁が」とおっしゃいました。
(私のドラゴンヘッド(太陽の軌道と月の軌道の交点)=乙女16度について
話されたときだと思います)
子どもが親より先に死ぬというのは、私が思い描ける出来事のなかで最もつらいことです。
「もしここまで無事なら、守られているんですよ」とのことでした。
そこでまた「人生生きてるだけで丸もうけ」という言葉が脳裏に浮かびました。
次男は進路が心もとなく、私の一番の悩みでしたが、
まず、元気で生きていてくれることが、私の幸せの基盤じゃん、そのことに感謝じゃん!
と思ったのでした。
守ってくれている人がいるとしたら、
その人は次男ばかりではなく私のことも支えてくれているのだ。
そして、守られているとしたら、次男はこの世でやる何事かがあるのだろうと思ったら
次男のこれからを信じる気持ちが、自然に戻ってくるのを感じました。
獅子座太陽、魚月。月は魚座25度で、
7ハウスでノーアスぺクト(他の星とメジャーな角度がありません)。
10歳のとき交通事故に遭いました。
下校時、校門から飛び出したとたん白いカローラに遭遇し
そのまま車体の下に滑り込んでしまいました。
ランドセルが引っ掛かって動けず。
わらわら出てきた子どもたちに囲まれて、
「がんばれーがんばれー」と応援してもらい、
「うぇっうえっ、まるおか×××、がんばりまーす!」と泣きながら15分。
助け出されたときは臀部に4度のやけどと、顔にそこそこ大きなけがをしていました。
まあほかにも足とか胸とか。
本人はやけどは全然痛くなく(神経も焼き切れた)
膝と顔の擦過傷がたいへんだったそうです。
40日入院して2回皮膚移植の手術をしました。
しかし骨折もなく、1トンの車とぶつかったわりには
命にかかわるような後遺症もありませんでした。
親がはらはらした体験はほかにもありました。
生まれて1週間で熱を出したときも、真剣に心配しました。
退院したばかりの病院に逆戻り。
大人の肘までくらいの身長で、腕が大人の指くらいでした。
髄液をとられて、まだよく開かない目から涙を流していました。
まあそれは原因不明だったけど順調に回復しました。
わりに暑くない夏で、二度目に退院にしたときは旧盆ごろでしたが、外の世界は秋でした。
15歳のときは修学旅行の自主行動の帰りのバスの中で、
やんちゃな友達にに木刀でぶったたかれて、
帰宅後しばらくして校長室で謝罪を受けることに。
そのとき始まったことでもなくて、
もともと学校一のいじめられっ子だったみたいなんですね。
(「みたい」は「学校一」についてです)
高校以降は大きなこともなく普通の生活をしています。
でも私は、チャート上では上に書いたようなことはどの辺に出ているのか、
これからどうなのか、みたいなことはよく考えてました。
このあいだ講座で松村先生にそれをお尋ねする機会がありました。
先生のお答えは明快で
「月が春分点の手前で7ハウスなので、
周囲の人のいろんなものを吸い込んでしまう」とおっしゃってました。
魚座25度、サビアンは「聖職の浄化」です。
この度数が現実に現れたときどう出るかがストレートに伝わってきました。
魚座26度以降に感受点があると、
確かに、はたで見ていても「あっ、いわれてみれば」という
独特の傾向として出てくる感じがあります。
本人の意思とは関係なく環境と切り離されていくような生き方ですね。
25度はどちらかというと内面的精神的なきちんと感だと思っていましたが、
それはもちろん現実的な出来事とリンクしており、
7ハウスなのでけっこう派手なのでした。
母である私の何かも熱で浄化してくれたのだろうか。(木刀も木=火ですね、そういえば)
先日、走水で直居先生のサンプルリーディングを受けたとき、
先生は開口2番ぐらいに「逆縁が」とおっしゃいました。
(私のドラゴンヘッド(太陽の軌道と月の軌道の交点)=乙女16度について
話されたときだと思います)
子どもが親より先に死ぬというのは、私が思い描ける出来事のなかで最もつらいことです。
「もしここまで無事なら、守られているんですよ」とのことでした。
そこでまた「人生生きてるだけで丸もうけ」という言葉が脳裏に浮かびました。
次男は進路が心もとなく、私の一番の悩みでしたが、
まず、元気で生きていてくれることが、私の幸せの基盤じゃん、そのことに感謝じゃん!
と思ったのでした。
守ってくれている人がいるとしたら、
その人は次男ばかりではなく私のことも支えてくれているのだ。
そして、守られているとしたら、次男はこの世でやる何事かがあるのだろうと思ったら
次男のこれからを信じる気持ちが、自然に戻ってくるのを感じました。